代表挨拶

代表理事 園部浩誉より皆さまへ

代表理事 園部浩誉

代表理事

園部浩誉

ラグビーで培った「絆」と「体力」を、復興への力に

私は高校2年生からラグビーを始めましたが、ラグビーという競技に出会ったことで、人生が大きく変わったと実感しています。ラグビーを通じて得られた最も大きな財産は、何物にも代えがたい「一生涯付き合える仲間」との出会いです。ラグビーから派生して広がるその絆は、単なる知人という枠を超え、強固な信頼関係で結ばれています。

このラグビーを通じて培ってきた「強い絆」と「無尽蔵の体力」。これらを何かに活かせる場所こそが、ボランティアという活動の場であると考えています。

現在、私たちは能登での活動に注力していますが、今後いつどこで災害が起きるかは誰にも分かりません。もし次の困難が起きたとき、自ら手を挙げ、全国からラグビー仲間が集まってくる。そして、まるで「ラグビーの合宿」をするような熱量で活動する。それが私たちの目指すボランティアの形です。

私のコンセプトは、「ボランティアを全力で楽しむ」ことです。被災地の現場は、瓦礫が広がる悲惨な状況かもしれません。しかし、そのような場所だからこそ、暗い顔で作業をするのではなく、明るく前向きに、楽しみながら取り組むことが大切だと信じています。その方が作業もはかどり、何より関わる人すべてに活力を与えることができるからです。

全力で汗を流した後は、仲間と風呂に入り、お酒を酌み交わしながら語り合う。そんな風に、ラグビー精神そのままにボランティアに取り組んでいければ幸いです。

もし次の現場で、皆さんと共に活動できる日が来れば、これほど嬉しいことはありません。

代表理事 園部浩誉

MESSAGES / 応援コメント

法人の理念や被災地での圧倒的な行動力に共感いただいた、著名人の方やラグビー界のリーダーの皆様からメッセージをいただきました。

林 敏之

林 敏之

Be HERO株式会社 代表取締役
NPO法人ヒーローズ ファウンダー
元ラグビー日本代表キャプテン (同志社、神戸製鋼、オックスフォードなどでプレー)

「ONE FOR ALL, ALL FOR ONE」の精神で、困難な壁を乗り越える力を

園部君が立ち上げ、そして今、新たな一歩として「特定非営利活動法人フライキプロジェクト」へと発展させる「災害ラガーボランティア活動」に、心からの敬意とエールを送ります。

東日本大震災を契機に生まれたこの活動は、まさにラグビーが持つ不屈の精神と仲間を思いやる心そのものです。どんなに苦しい局面であっても、仲間を信じ、ボールを後ろへ繋ぎながら前へ進み続ける。そのラグビーの哲学が、被災地や困難の中にある人々の心に希望の明かりを灯してきたことを、私は頼もしく拝見してきました。

私は、「ONE FOR ALL, ALL FOR ONE」の理念に息づくラグビー精神こそが、日本の未来を切り拓く力になると固く信じています。ラグビーを通じて私自身が体験させてもらった、胸が熱くなるような感動、そして挑戦する勇気。そうした湧き上がる感動を伝え、自らの人生の主人公(HERO)として輝く人々を一人でも多く育成したい――それが、私が掲げる「Be HERO」の想いです。

同じくラグビーを心から愛し、その精神を体現しながら社会のために活動を続ける園部君を、私はこれからも応援しています。

新たなステージへと飛躍するフライキプロジェクトの活動が、多くの人々の心に勇気を与え、あたたかい絆の輪を日本全国、そして未来へとさらに大きく広げていくことを心から祈念しております。

1960年生まれ。日本代表の主将として長年チームを牽引し、ラグビー界のレジェンドとして知られる。現在は「Be HERO」を掲げ、ラグビー精神を通じて人々の可能性を引き出す人材育成やリーダーシップ研修、講演活動に奔走。さらにスポーツを通じた社会貢献活動や次世代の育成に情熱を注いでいる。

桜庭 吉彦

桜庭 吉彦

元ラグビー日本代表

一つひとつの挑戦の積み重ねが、未来を切り拓く

フライキプロジェクトの皆さまへ

私は東日本大震災の被災地である岩手県釜石市に住んでいます。三陸の雄大な海と緑豊かな山々に囲まれたこのまちは、震災という大きな困難を経験しながらも、多くの人々の支え合いによって復興への歩みを続けてきました。その姿を見てきたからこそ、挑戦を諦めずに前へ進むことの大切さを強く感じています。

フライキプロジェクトもまた、新たな価値の創造に向けて挑戦を続ける素晴らしい取り組みです。時には壁にぶつかることもあると思いますが、一つひとつの挑戦の積み重ねが未来を切り拓き、大きな成果へとつながっていくはずです。

そして皆さまの挑戦は、単に成果を生み出すだけでなく、周囲で見ている人たちにも勇気と希望を与えています。目標に向かって力を合わせ、困難を乗り越えようとする姿は、多くの人の背中を押し、「自分も挑戦してみよう」と思わせる力があります。

釜石の海風を感じながら、フライキプロジェクトのさらなる飛躍と成功を心より応援しています。仲間を信じ、自らの可能性を信じて、これからも力強く前進してください。皆さまの取り組みが、多くの人に夢と勇気を届けることを願っています。

1966年生まれ、秋田県出身。秋田工業高校で全国高等学校ラグビーフットボール大会優勝を経験し、1985年に新日本製鐵釜石製鐵所へ入社。1986年から1999年まで日本代表として通算43キャップを重ね、ラグビーワールドカップに1987年・1995年・1999年の3大会出場した。その後、釜石シーウェイブスRFCヘッドコーチ、日本製鉄釜石シーウェイブス ゼネラルマネージャーを務め、ラグビーワールドカップ2019ではアンバサダーとして大会を支えた。現在は一般社団法人ジャパンラグビーリーグワン理事。

中島 修二

中島 修二

元ラグビー日本代表

「強い絆」と「無尽蔵の体力」が、まちの元気を取り戻す原動力に

フライキプロジェクトの皆さまへ

1984年夏にラグビーアンダー19日本代表で一緒にオーストラリア遠征に行った、私のラグビー仲間で同期の園部が立ち上げた「NPO法人フライキプロジェクト」。そして同じラグビー仲間で発展させた「災害ラガーボランティア活動」には、自発的に支援の手を差し伸べ、現地で活動している写真、レポートを見て、心より敬意と感謝を送ります。

ラグビーを通じて培ってきた「強い絆」と「無尽蔵の体力」をボランティアという活動の場にして、気は優しくて力持ちのラガーは、まちの元気を取り戻す原動力となると信じています。

ラガーとして私も、フライキプロジェクトに今後も応援、参加し、一緒にいい汗を流していきたいと考えています。「ラグビー精神(コアバリュー)」である「品位」「情熱」「結束」「規律」「尊重」を持ちながら、フライキプロジェクトが未来へ飛躍することを祈念しております。

中島修二氏とフライキプロジェクトのメンバー
2026年7月12日、スクラム・ジャパン・プログラム企画「共に創ろう、スクラムジャパン!」での広報活動にて(中央が中島修二氏)

1965年生まれ、山口県出身。大津高校で全国高等学校ラグビーフットボール大会3位(ベスト4)を経験し、1984年に明治大学へ入学。大学選手権優勝を経験し、アンダー19日本代表、学生日本代表に選出された。1988年にNECへ入社し、1989年の初キャップとなるスコットランド戦では勝利に貢献。1991年のワールドカップ出場まで11キャップを獲得し、セブンス日本代表のキャップも持つ。現役引退後は、日本代表や明治大学をはじめ、さまざまなカテゴリーでコーチを務めた。現在は故郷の長門市に暮らし、ながとブルーエンジェルス(女子セブンスラグビー)のメインスポンサーであるヤマネ鉄工建設株式会社に勤務している。

藤波 辰爾

藤波 辰爾

プロレスラー

どんなに苦しい時でも立ち上がること、そして仲間を信じること

災害が起きた時に、誰かのために立ち上がり、現地へ駆けつける。これは簡単にできることではありません。

ラグビーで培った仲間との絆、助け合う心、そして行動する力を被災地のために役立てている『フライキプロジェクト・災害ラガーボランティア』の活動に、私は心から賛同します。

プロレスもラグビーも、どんなに苦しい時でも立ち上がること、そして仲間を信じることが大切です。

日本はこれからも、いつどこで災害が起こるかわかりません。だからこそ、こうした志を持った仲間たちの存在が大きな力になると思います。

『フライキプロジェクト』の皆さん、これからも日本のため、被災地で待っている人たちのために、力強く歩み続けてください。

私も皆さんの活動を応援しています。

1953年生まれ、大分県出身。1971年に日本プロレスでデビューし、1972年の新日本プロレス旗揚げ戦に出場。1978年にWWWFジュニアヘビー級王座を獲得し、ヘビー級転向後はWWFインターナショナルヘビー級王座を獲得した。1999年から5年間、新日本プロレスの代表取締役社長を務める。2006年に自身の団体を旗揚げし、2008年に「ドラディション」へ改称。2015年に米国WWEの殿堂入り(日本人選手2人目)。プロレス生活50年を超えた現在も現役選手として活躍している。

向山 昌利

向山 昌利

一般社団法人子どもスポーツ国際交流協会 代表理事

ラグビーがつなぐ絆と挑戦が、次世代の未来を拓く

フライキプロジェクトの皆さまへ

私は、一般社団法人子どもスポーツ国際交流協会の代表として、スポーツを通じた国際交流と青少年育成に取り組んでいます。

私たちの活動にとって、2011年の東日本大震災は大きな転機となりました。震災以降、岩手県釜石市を中心に、世界の子どもたちと地域の子どもたちをつなぐ国際交流を続けてきました。そして2016年の熊本地震以降は、熊本の子どもたちもその輪に加わり、多くの学びと出会いを重ねています。

熊本は私の故郷です。フライキプロジェクトの皆さまが被災地に寄り添い、子どもたちや地域を支え続けてこられたことに、心から感謝申し上げます。その活動は支援の枠を超え、人と人とを結び、未来への希望を育むものだと感じています。

私自身は、アジアのラグビーネットワークを活用しながら、次世代のグローバルリーダー育成に取り組んでいます。国や文化、言語の違いを越えて人々を結び付けるラグビーの力を、私は何度も目の当たりにしてきました。

ラグビーは、仲間を信頼し、困難な状況でも力を合わせて前へ進むことの大切さを教えてくれます。だからこそ、フライキプロジェクトが掲げる「強い絆」と「無尽蔵の体力」という理念に深く共感しています。仲間のために力を尽くし、困難な状況でも走り続ける。その姿勢は、ラグビーが大切にしてきた価値そのものであり、私たちが子どもたちに伝えたい生き方そのものです。

未来を担う子どもたちのために。そして地域の希望をつなぐために。フライキプロジェクトの活動がこれからも多くの人々に勇気を届けることを願っています。

一般社団法人子どもスポーツ国際交流協会 代表理事/中央大学文学部准教授。ラグビー日本代表として6キャップを獲得。これまで日本ラグビーフットボール協会国際協力部門長、アジアラグビーDevelopment Committeeメンバー、JICA技術専門員として、アジア各国との交流や人材育成に携わってきた。スポーツの力で人々をつなぎ、未来を担う子どもたちの成長を支える活動を続けている。